はい♪
ZAKZAKで 恭兵様の ひとりごと が 載ってました(照)
(1)演技は僕にとって難しかった…柴田恭兵(様) ひとりごと
「刑事役の多さじゃ、ギネスに載るんじゃないかな…。」
映画「まだまだあぶない刑事」が 10月公開です。
7年ぶりで どうなっちゃうんだろう…なんて思ってましたけど、
リーゼントにサングラスで 舘(ひろし)さんとお会いしたら、
一瞬のうちに 大下ユージに戻れましたね。 走るのはラクなんです。
下手な役者は走らせとけって 言いますから、ははは…。
僕は、「あぶ刑事」は記録的映画という思いで走ってるんです。
80過ぎて、「昔は足が速かったな…」って。80まで走ってますよ。
全力疾走。
「あぶない刑事」は、
僕の中で アニメとしてとらえているところがある。
見終わって教訓があるってものじゃなく、 1カット1カット、
おもしろかったり、かっこつけてたり、
そういう作品でいいと思ってるんです。
(僕は)舘さんが喜んでくれることしてればいいって。ふふふ。
刑事や女性警察官になったって、ファンの方から
手紙をもらったりしますが、
僕にとっても インパクトの強かった役。
(あぶ刑事に)出合えたことは 素敵な出来事でした。
モノマネされたのも、その時代にあった作品だったからでしょう。
俳優になったきっかけは、
たまたま「東京キッドブラザース」に
僕の小学校の同級生がマネジャーでいたんです。
で、連絡があって芝居を見たら…。初めての演劇で、ショックでした。
のどから血がでるんじゃないかってくらい
叫んだり壮絶だったんです。
大学卒業後は サラリーマンしてたんですよ。
そこに、(劇団主宰者の)東(由多加)さんが
「役者やらないか」って。
会社は初任給が すごくいいとこだったんです。
でも「20万、30万の話じゃないんだよ。すごいおもしろいんだよ」って。
ちょっとだけ 人数合わせのつもりで 参加しました。
サラリーマンに戻れる自信もあった。 要領よかったから!
でも、演技は僕にとっては難しかったな。
“泣きながら笑う”なんて、
男子たるもの泣くなんて してはいけないことだと思っていたし、
すごく難しかった。
バケツに何杯も 汗かいてムキになってやってました。
役者になっておもしろかったから、
もっとおもしろいことが きっとあるんじゃないか、って
思ってましたけど、なかなかないですね。
(2) 歳をとることで素敵な出会いが…柴田恭兵ひとりごと
「草野球4チームに入ってます」
(テレビの高校野球を見ながら)今のは、いいプレーでしたねぇ…。
僕、草野球チームに4つも入ってるんです。
野球は好きで、「熱闘甲子園」見てウルウルしてます。
今は プロ野球で応援しているチームはないですね。
メジャーの方がおもしろい。
イチローも松井も大好きです。
練習? バッティングセンターに行ったり、
火曜日には だいたい神宮で試合をやってます。
火曜日に 神宮に行ったら、僕いますよ!
プライベート? 普段は拳銃持っているんじゃないかって?
ボーッとしています。
季節のお酒飲みながら、ゴルフ見たり。
たまに数独(数字のパズルゲーム)とかやって。
若い時はツッパラかってました。 若いときはツッパルことも大事。
“柴田恭兵をなめるなよ” ってのは ありましたね。
若い時はそれでいいんですよ。
サラリーマンの頃、
駅から会社に向かう途中、 前の人の影を見ていてドキッとしたんです。
この人も何かやりたいことがあったけど
サラリーマンやってるんじゃないかって。
そのうち結婚して、小さなアパート借りたり…
人生ってこういうもんかなって。
それはそれで 全然かまわないと僕は思ってた。
今回、
(テレビ朝日系ドラマ「刑事部屋」で共演している)寺尾聰さんとの
出会いもそうなんですけど、より歳をとることで、
自分のことも見透かされて、相手のことも見えてしまう。
そこでまた 素敵な出会いがありますから楽しみです。
若さの秘訣? 深くモノを考えない!
いやいや、冗談。食事とか、奥さんがちゃんと考えてくれてるからでしょう。
それと、意外と ポジティブ。 あんまりくよくよしない。
事故でケガしても「これくらいでよかった」って、
思い方ひとつで違いますよ。
(3)頑張らなくなったかも…ひとりごと柴田恭兵
「刑事部屋」(テレビ朝日系、14日午後9時最終回)なんですが、
すごくバランスいい キャスティングで、撮影は楽しかった。
刑事モノって最後になると、
聞いてもないのに 犯人がペラペラしゃべるでしょ。
そういうのがない。
派手なアクションや銃撃戦もない。
だけど、物足りないかっていえば、そうでもない。
内面的なものを いっぱい出せる脚本でした。
今回こういう(天然ボケ)キャラクターでしたが、
(脚本では)もうちょっと控えめだったんです。
でも、だんだん エスカレートしちゃって。
きっと三枚目の要素あると思うんです。 静かにしているのも苦手−。
あっという間の30年。
今までは、うまく気持ちが入ることが 素敵と思ってたんです。
キャラと寄り添っているときに お芝居としての手応えを感じたり。
でも、それだけでなく 芝居として深いもの、
自分が投げてるもの(演技)が、 自分に返ってきたときの
プリズムが、昔よりいっぱい感じられるようになったと思う。
欲張らなくなったかもしれません。
もちろん力いっぱいやってるんですよ!
意外と丁寧な言葉づかいな役って なかったな。
だから、最初は難しかった。
でも丁寧に話す質の部分が、僕の中に残っていてよかった(笑)。
仕事に対してマジメな部分と、ひょうきんなところが僕に近いかも。
とっても素敵な共演者さんで、仙道晴見(役名)を預けました。
相手のリアクションで寄り添える、寄りかかっちゃうくらい素敵。
寺尾(聰)さんとは 映画「半落ち」でご一緒したんですけど、
その時、初めての感じがしなかった。
いつかまた一緒にできたらいいねって 話していたら、
こんなに早く共演できてうれしいです。
プライベートでゴルフも何回か行きました。
ある日、寺尾さんがゴルフに行き、
『午前中は38で回った』って連絡が入ったんです。
そしたら、共演の生田(斗真=ジャニーズJr.)くんが
「寺尾さん38度の熱出したんですか?」って。かわいらしかったな。
30歳の時に「役者は40からだよ」って言われ、
40歳になったら「50からだよ」って。人生まだまだこれから…。
=おわり
■しばた・きょうへい 1951年8月18日、静岡県生まれ。
しし座 AB型 176cm 63kg
日本大学経済学部卒業後、サラリーマン生活を経て、
75年にミュージカル劇団「東京キッドブラザース」に。
舞台で活躍し、その後は、ドラマ、映画にも活躍を広げ、
84年には「チ・ン・ピ・ラ」で映画初出演。
86年、舘ひろしと共演の「あぶない刑事」で大ブレーク。
ZAKZAKより
じっくり 読んでしまいました(笑)
追記
2004年12月
ご次男 鮎くんが九州の下宿先で
心臓発作のためお亡くなりになっていたそうです
周囲には一切告げず「あぶ刑事」の収録に参加したそうです
2006年
7月下旬 右の肺の上葉にできた腫瘍(しゅよう)を切除する手術
8月2日 初期のがんだったことを公表。
11月 退院
12月 NHK土曜ドラマ「ハゲタカ」撮影復帰
「全国の隠れ柴田恭兵ファンの皆様、ご心配おかけしました。
帰ってきました」。
“隠れ”と加えるユーモア。照れくさそうな笑顔。
壇上には、以前のままの彼がいた。
この日も顔色が良く、闘病がうそのよう。
「この前ゴルフに行って、カートなしで1ハーフ回ってきました。
以前より健康ですし、たばこもやめました。アクションもできます」
と拳銃片手に走り回る代表作「あぶない刑事」のユージの顔でニヤリ。
食事もアルコールも前と変わりない。
奥さんが考えて作ってくれています」と完全復活を強調した。
病気を通し、「命に限りがあることを切実に感じた」という柴田。
「今まで出せたことのない色が出せれば…」。
思いを新たに、再び、役者人生を走り始めた。
gooニュースより
(1)演技は僕にとって難しかった…柴田恭兵(様) ひとりごと
「刑事役の多さじゃ、ギネスに載るんじゃないかな…。」
映画「まだまだあぶない刑事」が 10月公開です。
7年ぶりで どうなっちゃうんだろう…なんて思ってましたけど、
リーゼントにサングラスで 舘(ひろし)さんとお会いしたら、
一瞬のうちに 大下ユージに戻れましたね。 走るのはラクなんです。
下手な役者は走らせとけって 言いますから、ははは…。
僕は、「あぶ刑事」は記録的映画という思いで走ってるんです。
80過ぎて、「昔は足が速かったな…」って。80まで走ってますよ。
全力疾走。
「あぶない刑事」は、
僕の中で アニメとしてとらえているところがある。
見終わって教訓があるってものじゃなく、 1カット1カット、
おもしろかったり、かっこつけてたり、
そういう作品でいいと思ってるんです。
(僕は)舘さんが喜んでくれることしてればいいって。ふふふ。
刑事や女性警察官になったって、ファンの方から
手紙をもらったりしますが、
僕にとっても インパクトの強かった役。
(あぶ刑事に)出合えたことは 素敵な出来事でした。
モノマネされたのも、その時代にあった作品だったからでしょう。
俳優になったきっかけは、
たまたま「東京キッドブラザース」に
僕の小学校の同級生がマネジャーでいたんです。
で、連絡があって芝居を見たら…。初めての演劇で、ショックでした。
のどから血がでるんじゃないかってくらい
叫んだり壮絶だったんです。
大学卒業後は サラリーマンしてたんですよ。
そこに、(劇団主宰者の)東(由多加)さんが
「役者やらないか」って。
会社は初任給が すごくいいとこだったんです。
でも「20万、30万の話じゃないんだよ。すごいおもしろいんだよ」って。
ちょっとだけ 人数合わせのつもりで 参加しました。
サラリーマンに戻れる自信もあった。 要領よかったから!
でも、演技は僕にとっては難しかったな。
“泣きながら笑う”なんて、
男子たるもの泣くなんて してはいけないことだと思っていたし、
すごく難しかった。
バケツに何杯も 汗かいてムキになってやってました。
役者になっておもしろかったから、
もっとおもしろいことが きっとあるんじゃないか、って
思ってましたけど、なかなかないですね。
(2) 歳をとることで素敵な出会いが…柴田恭兵ひとりごと
「草野球4チームに入ってます」
(テレビの高校野球を見ながら)今のは、いいプレーでしたねぇ…。
僕、草野球チームに4つも入ってるんです。
野球は好きで、「熱闘甲子園」見てウルウルしてます。
今は プロ野球で応援しているチームはないですね。
メジャーの方がおもしろい。
イチローも松井も大好きです。
練習? バッティングセンターに行ったり、
火曜日には だいたい神宮で試合をやってます。
火曜日に 神宮に行ったら、僕いますよ!
プライベート? 普段は拳銃持っているんじゃないかって?
ボーッとしています。
季節のお酒飲みながら、ゴルフ見たり。
たまに数独(数字のパズルゲーム)とかやって。
若い時はツッパラかってました。 若いときはツッパルことも大事。
“柴田恭兵をなめるなよ” ってのは ありましたね。
若い時はそれでいいんですよ。
サラリーマンの頃、
駅から会社に向かう途中、 前の人の影を見ていてドキッとしたんです。
この人も何かやりたいことがあったけど
サラリーマンやってるんじゃないかって。
そのうち結婚して、小さなアパート借りたり…
人生ってこういうもんかなって。
それはそれで 全然かまわないと僕は思ってた。
今回、
(テレビ朝日系ドラマ「刑事部屋」で共演している)寺尾聰さんとの
出会いもそうなんですけど、より歳をとることで、
自分のことも見透かされて、相手のことも見えてしまう。
そこでまた 素敵な出会いがありますから楽しみです。
若さの秘訣? 深くモノを考えない!
いやいや、冗談。食事とか、奥さんがちゃんと考えてくれてるからでしょう。
それと、意外と ポジティブ。 あんまりくよくよしない。
事故でケガしても「これくらいでよかった」って、
思い方ひとつで違いますよ。
(3)頑張らなくなったかも…ひとりごと柴田恭兵
「刑事部屋」(テレビ朝日系、14日午後9時最終回)なんですが、
すごくバランスいい キャスティングで、撮影は楽しかった。
刑事モノって最後になると、
聞いてもないのに 犯人がペラペラしゃべるでしょ。
そういうのがない。
派手なアクションや銃撃戦もない。
だけど、物足りないかっていえば、そうでもない。
内面的なものを いっぱい出せる脚本でした。
今回こういう(天然ボケ)キャラクターでしたが、
(脚本では)もうちょっと控えめだったんです。
でも、だんだん エスカレートしちゃって。
きっと三枚目の要素あると思うんです。 静かにしているのも苦手−。
あっという間の30年。
今までは、うまく気持ちが入ることが 素敵と思ってたんです。
キャラと寄り添っているときに お芝居としての手応えを感じたり。
でも、それだけでなく 芝居として深いもの、
自分が投げてるもの(演技)が、 自分に返ってきたときの
プリズムが、昔よりいっぱい感じられるようになったと思う。
欲張らなくなったかもしれません。
もちろん力いっぱいやってるんですよ!
意外と丁寧な言葉づかいな役って なかったな。
だから、最初は難しかった。
でも丁寧に話す質の部分が、僕の中に残っていてよかった(笑)。
仕事に対してマジメな部分と、ひょうきんなところが僕に近いかも。
とっても素敵な共演者さんで、仙道晴見(役名)を預けました。
相手のリアクションで寄り添える、寄りかかっちゃうくらい素敵。
寺尾(聰)さんとは 映画「半落ち」でご一緒したんですけど、
その時、初めての感じがしなかった。
いつかまた一緒にできたらいいねって 話していたら、
こんなに早く共演できてうれしいです。
プライベートでゴルフも何回か行きました。
ある日、寺尾さんがゴルフに行き、
『午前中は38で回った』って連絡が入ったんです。
そしたら、共演の生田(斗真=ジャニーズJr.)くんが
「寺尾さん38度の熱出したんですか?」って。かわいらしかったな。
30歳の時に「役者は40からだよ」って言われ、
40歳になったら「50からだよ」って。人生まだまだこれから…。
=おわり
■しばた・きょうへい 1951年8月18日、静岡県生まれ。
しし座 AB型 176cm 63kg
日本大学経済学部卒業後、サラリーマン生活を経て、
75年にミュージカル劇団「東京キッドブラザース」に。
舞台で活躍し、その後は、ドラマ、映画にも活躍を広げ、
84年には「チ・ン・ピ・ラ」で映画初出演。
86年、舘ひろしと共演の「あぶない刑事」で大ブレーク。
ZAKZAKより
じっくり 読んでしまいました(笑)
追記
2004年12月
ご次男 鮎くんが九州の下宿先で
心臓発作のためお亡くなりになっていたそうです
周囲には一切告げず「あぶ刑事」の収録に参加したそうです
2006年
7月下旬 右の肺の上葉にできた腫瘍(しゅよう)を切除する手術
8月2日 初期のがんだったことを公表。
11月 退院
12月 NHK土曜ドラマ「ハゲタカ」撮影復帰
「全国の隠れ柴田恭兵ファンの皆様、ご心配おかけしました。
帰ってきました」。
“隠れ”と加えるユーモア。照れくさそうな笑顔。
壇上には、以前のままの彼がいた。
この日も顔色が良く、闘病がうそのよう。
「この前ゴルフに行って、カートなしで1ハーフ回ってきました。
以前より健康ですし、たばこもやめました。アクションもできます」
と拳銃片手に走り回る代表作「あぶない刑事」のユージの顔でニヤリ。
食事もアルコールも前と変わりない。
奥さんが考えて作ってくれています」と完全復活を強調した。
病気を通し、「命に限りがあることを切実に感じた」という柴田。
「今まで出せたことのない色が出せれば…」。
思いを新たに、再び、役者人生を走り始めた。
gooニュースより







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