給食で児童20人が「柏餅人工葉」食べる
三重県菰野町の菰野小学校(杉本博司校長、978人)で、
給食で出たかしわもちに付いていた人工葉を、
20人の児童が誤って食べていたことが3日分かった。
包装に「天然葉を使用」と書いてあったためだが、
これまでに体調の異常を訴えた児童はいない。
同小によると、かしわもちは直径5センチほどの大きさで、
こどもの日を前に2日、デザートとして給食に出した。
名古屋市の食品会社が製造したが、
誤って包装には天然葉を使用した際の表示をしていたという。
yahooニュース
柏餅の 柏の葉・・・
天然葉は食べれるとは 知らなかったです
桜餅の葉は 子供の頃は剥がして捨てていたけど
大人になった今では 塩気が美味しく食べれるようになりました
以前は クレープ生地で巻かれた長命寺餅の方が好きだったけど
最近は 道明寺粉の 道明寺餅の方が好き^^
農林水産省/消費者の部屋で以下のように書かれていました
<柏餅>
柏餅の葉は、以前は、韓国から輸入していましたが、
現在は、ほとんど中国の東北省、河北省、黒竜江省からの
輸入で対応しています。
<桜餅>
桜餅には、一般的に大島桜の葉が使用されているようです。
桜の葉には、精油成分のクマリンという物質が含まれています。
桜の葉を塩漬けすることにより、
桜餅の葉から発する甘い独特の香りのクマリンが生まれます。
桜の木の中でも大島桜の葉が桜餅に使われているのは、
この成分が多く含まれているからです。
また、クマリンには抗菌性があり、桜餅の保存にも役立っています。
桜餅の葉は、伊豆地方で多く栽培され、
葉を摘み取りやすいように
人の背丈ほどに仕立てられた桜の若葉を摘み取って
塩漬けにされたものが使用されているようです。
関東風(長命寺餅)
小麦粉あるいは白玉粉の生地を焼いた皮で、
餡をクレープ状に巻いたもの。
関西風(道明寺(餅))
糯米を蒸かして干し、粗めに挽いた粒状の道明寺粉を
用いた皮に、饅頭のように餡を包んだもの。
和菓子協会には和菓子の由来がありました
●金鍔(きんつば)
徳川5代将軍綱吉の頃、
小豆餡をうるち米の粉で包んで焼いた焼餅が
京都に生まれ「ぎんつば」といって
庶民にたいへん喜ばれたと言います。
そのぎんつばが亨保(1726年頃)の頃、
江戸に渡って来たといわれ、
江戸風の工夫を凝らして銀よりも金が上というので
「きんつば」になったと言われています。
刀の鍔(つば)の様に円型に薄くしたもので
(現在は四角く切ったものが多い)、
吉原土手付近や日本橋魚河岸付近に
屋台店が出されて人気を博したと言われています。
●桜餅
江戸向島の長命寺(3代将軍家光の命名)の門番であった
下総国の山本新六が、元禄の頃、
向島堤の桜の落葉の掃除に追われ、
この葉をしょうゆ樽に漬けて売ってみたが、
あまり売れなかったので、
桜の葉を塩漬にして、小麦粉を溶いて薄く焼いた皮に
小豆餡を包んで、塩抜きをした桜の葉で包んだ。
これが花見客などに大評判となり江戸名物のひとつとなったと
言われています。
●柏餅
柏餅は江戸時代から端午の節句には必ず用いられました。
柏の木の古い葉は新芽が育つまで枯れないので
子孫繁栄の縁起の良い葉とされたことや、
柏餅を包む手つきが神前でかしわ手を打つ姿に似て、
武運を祈願する端午の節句にふさわしいという
意味もあったと言います。
もともと柏の葉は古代から食器として用いられていたこと、
また、柏の葉の薬効なども理由のひとつに挙げられると思います。
●おはぎ、ぼた餅
ぼた餅の名の起りを仏教に求める説もあるようですが、
ここでは素直に「倭漢三才図会」に書かれている
「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」と
あるのを信じたいところです。
萩の花、おはぎというのは女性の言葉という説もあります。
また、一名「隣しらず」とも言われたこともあるようですが、
これは餅といいながら
臼でつかないので隣の人に聞こえないところから
言われた江戸風のシャレ言葉のようです。
いずれにせよ根本に「共食信仰」があることは事実で、
彼岸に仏前に供え、また親類、近隣にも配る習慣が生まれたのです。
●饅頭(まんじゅう)
まんじゅうは中国から伝来したもので
名前も蛮頭、蔓頭、包子などの文字を用いて呼ばれていました。
中国の三国志で知られています諸葛孔明が
南蛮を征した時に濾川という川のほとりで激しい風浪にあい、
これをしずめるために
人を殺してその人頭を川の神に捧げる風習があると聞き、
人の頭のかわりに小麦粉に羊や豚の肉を包んで
祭壇に供えるようにしたという伝説にはじまると言われています。
その後、日本に渡って
肉を食べない風習の中で
現在のまんじゅうが生まれてきたと思われます。
●羊かん
羊かんについては平安時代末期の書にも現われており、
羹(あつもの)として唐の国より伝来したものとあります。
元々は鳥獣、魚介を使ったものだったのですが、
肉食をしない風習の日本では、
汁の中に肉に似せた形や色のもの
(穀類などをこねて作ったもの)に変化してきました。
その中味だけが取り出されて蒸菓子として
珍重されたのが羊羹(ようかん)の始まりで、
その頃は現在でいう蒸し羊かんの様なものであったと思われます。
その後歴史の中で発展し、現在の煉羊かんなどが生まれてきました
給食で出たかしわもちに付いていた人工葉を、
20人の児童が誤って食べていたことが3日分かった。
包装に「天然葉を使用」と書いてあったためだが、
これまでに体調の異常を訴えた児童はいない。
同小によると、かしわもちは直径5センチほどの大きさで、
こどもの日を前に2日、デザートとして給食に出した。
名古屋市の食品会社が製造したが、
誤って包装には天然葉を使用した際の表示をしていたという。
yahooニュース
柏餅の 柏の葉・・・
天然葉は食べれるとは 知らなかったです
桜餅の葉は 子供の頃は剥がして捨てていたけど
大人になった今では 塩気が美味しく食べれるようになりました
以前は クレープ生地で巻かれた長命寺餅の方が好きだったけど
最近は 道明寺粉の 道明寺餅の方が好き^^
農林水産省/消費者の部屋で以下のように書かれていました
<柏餅>
柏餅の葉は、以前は、韓国から輸入していましたが、
現在は、ほとんど中国の東北省、河北省、黒竜江省からの
輸入で対応しています。
<桜餅>
桜餅には、一般的に大島桜の葉が使用されているようです。
桜の葉には、精油成分のクマリンという物質が含まれています。
桜の葉を塩漬けすることにより、
桜餅の葉から発する甘い独特の香りのクマリンが生まれます。
桜の木の中でも大島桜の葉が桜餅に使われているのは、
この成分が多く含まれているからです。
また、クマリンには抗菌性があり、桜餅の保存にも役立っています。
桜餅の葉は、伊豆地方で多く栽培され、
葉を摘み取りやすいように
人の背丈ほどに仕立てられた桜の若葉を摘み取って
塩漬けにされたものが使用されているようです。
関東風(長命寺餅)
小麦粉あるいは白玉粉の生地を焼いた皮で、
餡をクレープ状に巻いたもの。
関西風(道明寺(餅))
糯米を蒸かして干し、粗めに挽いた粒状の道明寺粉を
用いた皮に、饅頭のように餡を包んだもの。
和菓子協会には和菓子の由来がありました
●金鍔(きんつば)
徳川5代将軍綱吉の頃、
小豆餡をうるち米の粉で包んで焼いた焼餅が
京都に生まれ「ぎんつば」といって
庶民にたいへん喜ばれたと言います。
そのぎんつばが亨保(1726年頃)の頃、
江戸に渡って来たといわれ、
江戸風の工夫を凝らして銀よりも金が上というので
「きんつば」になったと言われています。
刀の鍔(つば)の様に円型に薄くしたもので
(現在は四角く切ったものが多い)、
吉原土手付近や日本橋魚河岸付近に
屋台店が出されて人気を博したと言われています。
●桜餅
江戸向島の長命寺(3代将軍家光の命名)の門番であった
下総国の山本新六が、元禄の頃、
向島堤の桜の落葉の掃除に追われ、
この葉をしょうゆ樽に漬けて売ってみたが、
あまり売れなかったので、
桜の葉を塩漬にして、小麦粉を溶いて薄く焼いた皮に
小豆餡を包んで、塩抜きをした桜の葉で包んだ。
これが花見客などに大評判となり江戸名物のひとつとなったと
言われています。
●柏餅
柏餅は江戸時代から端午の節句には必ず用いられました。
柏の木の古い葉は新芽が育つまで枯れないので
子孫繁栄の縁起の良い葉とされたことや、
柏餅を包む手つきが神前でかしわ手を打つ姿に似て、
武運を祈願する端午の節句にふさわしいという
意味もあったと言います。
もともと柏の葉は古代から食器として用いられていたこと、
また、柏の葉の薬効なども理由のひとつに挙げられると思います。
●おはぎ、ぼた餅
ぼた餅の名の起りを仏教に求める説もあるようですが、
ここでは素直に「倭漢三才図会」に書かれている
「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」と
あるのを信じたいところです。
萩の花、おはぎというのは女性の言葉という説もあります。
また、一名「隣しらず」とも言われたこともあるようですが、
これは餅といいながら
臼でつかないので隣の人に聞こえないところから
言われた江戸風のシャレ言葉のようです。
いずれにせよ根本に「共食信仰」があることは事実で、
彼岸に仏前に供え、また親類、近隣にも配る習慣が生まれたのです。
●饅頭(まんじゅう)
まんじゅうは中国から伝来したもので
名前も蛮頭、蔓頭、包子などの文字を用いて呼ばれていました。
中国の三国志で知られています諸葛孔明が
南蛮を征した時に濾川という川のほとりで激しい風浪にあい、
これをしずめるために
人を殺してその人頭を川の神に捧げる風習があると聞き、
人の頭のかわりに小麦粉に羊や豚の肉を包んで
祭壇に供えるようにしたという伝説にはじまると言われています。
その後、日本に渡って
肉を食べない風習の中で
現在のまんじゅうが生まれてきたと思われます。
●羊かん
羊かんについては平安時代末期の書にも現われており、
羹(あつもの)として唐の国より伝来したものとあります。
元々は鳥獣、魚介を使ったものだったのですが、
肉食をしない風習の日本では、
汁の中に肉に似せた形や色のもの
(穀類などをこねて作ったもの)に変化してきました。
その中味だけが取り出されて蒸菓子として
珍重されたのが羊羹(ようかん)の始まりで、
その頃は現在でいう蒸し羊かんの様なものであったと思われます。
その後歴史の中で発展し、現在の煉羊かんなどが生まれてきました







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