余命半年 中学校で「最後の授業」
がんで余命半年と告げられた
大阪府吹田市の前教育長、延地(のべち)和子さん(62)が
7日、2年余り前まで校長を務めていた市立竹見台中学校で、
卒業を控えた3年生36人に「最後の授業」をした。
病気のこと。仕事のこと。24歳で先立った一人娘のこと。
自分の人生を教材に生きることの貴さを説き、
「人生はしんどいことがいっぱいだけど、しっかりと生きてほしい」と
語りかけた。
「私、なんでもさらけだしてきたの」。
視聴覚室に集まった生徒たちの前で、
延地さんはニット帽を脱いだ。
抗がん剤治療の副作用で一部が抜けた頭髪があらわれた。
「顔もむくんで自分じゃないみたいで、
20万円もするカツラを買ったのよ。それで旅行に行けたのに」。
生徒の緊張をほぐしてから話し始めた。
延地さんは戦後間もなく神戸・須磨で生まれた。
1カ月後に父を亡くし、母と5人きょうだいで貧しさの中で育った。
高校時代、家庭教師をして教える楽しさに気づき、
大学を卒業後、吹田市で中学校の国語教師に。
05年12月、吹田市初の女性教育長に就いた。
昨年7月、記者会見中に腹部に痛みを感じた。
ビール瓶1本分の腹腔(ふくこう)内出血が見つかり緊急入院。
副腎皮質のがんだった。
担当医に「肝臓やリンパ節に転移している」と言われた。
昨年12月に辞表を出し、
市議会で「がん患者として生きていきます」と宣言した。
今年1月の2回目の抗がん剤治療で、髪は抜け、
吐き気に襲われ、体重が1日1キロずつ減った。
それでも、治療効果はみられなかった。
「撤退しましょう」。主治医の言葉に治療の中止を決意し、
一人暮らしの不自由から自宅を離れ、
ホテルに宿泊しながらホスピスへの入所を待っている。
そんなとき、竹見台中の山邊義毅校長から
「卒業する子に命について語ってほしい」と頼まれた。
山邊校長は延地さんが校長時代の教頭。
3年生は1年生の2学期まで、延地さんの「最後の教え子」だった。
この日は、26歳で赴任した2カ所目の中学校での経験を
「教師としての原点」として語った。
当時は校内暴力の全盛期で、
「市内一」と言われるほど荒れていた。
若い男性教師らは生徒に教室から引きずり出されて殴られ、
辞めたり「不登校」になったりしていた。
産んだばかりの娘を校長室のソファに寝かせ、
学校や教室に寄りつかない生徒たちを追いかけ回した。
「そのやんちゃな子たちが50歳近くになって、
いま、洗濯とか私の身の回りの世話をしてくれる。
大変だったけど、楽しかった」
一人娘のもと子さんのことも話した。
私立高2年のとき、同級生らになじめず、
「今日から学校に行かへん」と言い出した。
親としては悩んだが、中退を認めた。
大検に合格して大学に進んだものの、
11年前、自宅で卒業論文を執筆後、眠ったまま息を引き取った。
突然死だった。
「子どもの分まで生きなくちゃ、そう思っていたのに、
がんになって、悔しくて悔しくて……」。涙声に教室内は静まった。
病気になって「自分はひとりじゃない」と気づいたとも語った。
教師仲間、大学時代の友人、教え子。
800人以上が見舞いにきてくれた。
「最後の授業」の最後には、
「がんと闘っている人は大勢いる。
私の使命は希望を失わずに生きること。
私の命がなくなったとき、
話を聞いてくれた人の中に火種が残ってくれたら、
私は第二の人生を生きられる」と話した。
そして、「いま始まる新しいいま」という題の
詩人川崎洋さんの詩を朗読して締めくくった。
生徒たちは、目を真っ赤にした子も、
延地さんをまっすぐ見つめて聞いていた。
元生徒会長の覚前雄登さん(15)は
「いつも笑顔を絶やさなかった先生が、
あんなに重い病気だとは知らなかった。
自分たちに全部話してくれてうれしかった」。
杉山春菜さん(15)は
「今はすぐ理解できないかも知れないけど、
託されたんだなと感じた」と話した。
延地さんは「久しぶりに子どもたちの前で話せて楽しかった。
私も勇気をもらった」と先生らに言って学校を後にした。
asahi.comより
「頑張って」とは 言えません
「笑顔」で毎日が過ごせるように 祈っています。
大阪府吹田市の前教育長、延地(のべち)和子さん(62)が
7日、2年余り前まで校長を務めていた市立竹見台中学校で、
卒業を控えた3年生36人に「最後の授業」をした。
病気のこと。仕事のこと。24歳で先立った一人娘のこと。
自分の人生を教材に生きることの貴さを説き、
「人生はしんどいことがいっぱいだけど、しっかりと生きてほしい」と
語りかけた。
「私、なんでもさらけだしてきたの」。
視聴覚室に集まった生徒たちの前で、
延地さんはニット帽を脱いだ。
抗がん剤治療の副作用で一部が抜けた頭髪があらわれた。
「顔もむくんで自分じゃないみたいで、
20万円もするカツラを買ったのよ。それで旅行に行けたのに」。
生徒の緊張をほぐしてから話し始めた。
延地さんは戦後間もなく神戸・須磨で生まれた。
1カ月後に父を亡くし、母と5人きょうだいで貧しさの中で育った。
高校時代、家庭教師をして教える楽しさに気づき、
大学を卒業後、吹田市で中学校の国語教師に。
05年12月、吹田市初の女性教育長に就いた。
昨年7月、記者会見中に腹部に痛みを感じた。
ビール瓶1本分の腹腔(ふくこう)内出血が見つかり緊急入院。
副腎皮質のがんだった。
担当医に「肝臓やリンパ節に転移している」と言われた。
昨年12月に辞表を出し、
市議会で「がん患者として生きていきます」と宣言した。
今年1月の2回目の抗がん剤治療で、髪は抜け、
吐き気に襲われ、体重が1日1キロずつ減った。
それでも、治療効果はみられなかった。
「撤退しましょう」。主治医の言葉に治療の中止を決意し、
一人暮らしの不自由から自宅を離れ、
ホテルに宿泊しながらホスピスへの入所を待っている。
そんなとき、竹見台中の山邊義毅校長から
「卒業する子に命について語ってほしい」と頼まれた。
山邊校長は延地さんが校長時代の教頭。
3年生は1年生の2学期まで、延地さんの「最後の教え子」だった。
この日は、26歳で赴任した2カ所目の中学校での経験を
「教師としての原点」として語った。
当時は校内暴力の全盛期で、
「市内一」と言われるほど荒れていた。
若い男性教師らは生徒に教室から引きずり出されて殴られ、
辞めたり「不登校」になったりしていた。
産んだばかりの娘を校長室のソファに寝かせ、
学校や教室に寄りつかない生徒たちを追いかけ回した。
「そのやんちゃな子たちが50歳近くになって、
いま、洗濯とか私の身の回りの世話をしてくれる。
大変だったけど、楽しかった」
一人娘のもと子さんのことも話した。
私立高2年のとき、同級生らになじめず、
「今日から学校に行かへん」と言い出した。
親としては悩んだが、中退を認めた。
大検に合格して大学に進んだものの、
11年前、自宅で卒業論文を執筆後、眠ったまま息を引き取った。
突然死だった。
「子どもの分まで生きなくちゃ、そう思っていたのに、
がんになって、悔しくて悔しくて……」。涙声に教室内は静まった。
病気になって「自分はひとりじゃない」と気づいたとも語った。
教師仲間、大学時代の友人、教え子。
800人以上が見舞いにきてくれた。
「最後の授業」の最後には、
「がんと闘っている人は大勢いる。
私の使命は希望を失わずに生きること。
私の命がなくなったとき、
話を聞いてくれた人の中に火種が残ってくれたら、
私は第二の人生を生きられる」と話した。
そして、「いま始まる新しいいま」という題の
詩人川崎洋さんの詩を朗読して締めくくった。
生徒たちは、目を真っ赤にした子も、
延地さんをまっすぐ見つめて聞いていた。
元生徒会長の覚前雄登さん(15)は
「いつも笑顔を絶やさなかった先生が、
あんなに重い病気だとは知らなかった。
自分たちに全部話してくれてうれしかった」。
杉山春菜さん(15)は
「今はすぐ理解できないかも知れないけど、
託されたんだなと感じた」と話した。
延地さんは「久しぶりに子どもたちの前で話せて楽しかった。
私も勇気をもらった」と先生らに言って学校を後にした。
asahi.comより
「頑張って」とは 言えません
「笑顔」で毎日が過ごせるように 祈っています。
「いま始まる新しいいま」
心臓から送り出された新鮮な血液は
十数秒で全身をめぐる
わたしはさっきのわたしではない
そしてあなたも
わたしたちはいつも新しい
さなぎからかえったばかりの蝶が
生まれたばかりの陽炎の中で揺れる
あの花は
きのうはまだ蕾だった
海を渡ってきた新しい風がほら
踊りながら走ってくる
自然はいつも新しい
きのうは知らなかったことを
きょう知る喜び
きのうは気づかなかったけど
きょうは見えてくるものがある
日々新しくなる世界
古代史の一部がまた塗り替えられる
過去でさえ新しくなる
きょうも新しいめぐり合いがあり
まっさらの愛が
次々に生まれ
いま初めて歌われる歌がある
いつも いつも
新しいいのちを生きよう
いま始まる新しいいま
川崎洋詩集「海があるということは」より抜粋
毎日新聞「余録」より
心臓から送り出された新鮮な血液は
十数秒で全身をめぐる
わたしはさっきのわたしではない
そしてあなたも
わたしたちはいつも新しい
さなぎからかえったばかりの蝶が
生まれたばかりの陽炎の中で揺れる
あの花は
きのうはまだ蕾だった
海を渡ってきた新しい風がほら
踊りながら走ってくる
自然はいつも新しい
きのうは知らなかったことを
きょう知る喜び
きのうは気づかなかったけど
きょうは見えてくるものがある
日々新しくなる世界
古代史の一部がまた塗り替えられる
過去でさえ新しくなる
きょうも新しいめぐり合いがあり
まっさらの愛が
次々に生まれ
いま初めて歌われる歌がある
いつも いつも
新しいいのちを生きよう
いま始まる新しいいま
川崎洋詩集「海があるということは」より抜粋
毎日新聞「余録」より







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