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 小学校に「お笑い係」  

 
 
2008年07月07日 ()
兵庫県芦屋市の市立宮川小学校の6年生には
お笑い係がある。

昨春、あるクラスが学級会で係を決める際、
「みんなを笑わせるお笑い係を作りたい」と立候補する子たちがいた。
「おもしろい」と担任の先生たちも のり、
ことしは学年の全3クラスに広がった。
1組は爆笑係と名乗る。

一日の終わりの会やお楽しみ会で芸を披露するのが「仕事」だ。
2組のお笑い係は男子4人。
例えばこんなやりとりをする。
「先生に問題です。リンゴが10個あります。ネコが1個くわえました。
 残りはいくつですか」
「9個やろ」
「ブブー。加えたから11個です」
「こらあー。もうええわ」

係の一人、村上裕亮さん(12)は
「クラスがどんよりしたとき、
みんなのストレスを解消して空気を変える使命がある」
と元気いっぱいだ。

そもそも関西各地の小学校で、
全校集会やクラスのお楽しみ会で漫才やコントを披露することはある。

あえて「係」にした理由を3組の担任、俵原正仁教諭(45)は
「お笑いは特別な場面だけでなく、日常にあるもの。
 創意工夫の精神が磨かれるのは新聞係などと同じ」と説明する。

3組の5人は授業中も活躍する。

1学期のある日の社会科で、
渡来人がもたらした文化を勉強していると、
「トラーイ人。トラーイ、トラーイ」と
中村優真さん(11)、山崎奨也さん(11)が教室の前に飛びだした。
腰に手をあて、スキップしながら
「トライ、トライ」と「トララライ体操」を始めた。

コンビ名は「中崎マーケット」。
お笑いコンビ「藤崎マーケット」をもじった。
テストで「渡来人」はクラスみな正解できたという。

俵原教諭が「笑育」と称して教育雑誌に紹介したこともあり、
小学校の先生が鳥取や群馬から視察に来た。

6月に訪れた群馬県藤岡市の大谷雅昭教諭(48)は
「子どもが授業にひきつけられている。
先生と子どもの駆け引きや間のとり方はさすが。
関西の風を関東に広めたい」。

京都市中京区の市立御所南小学校も4年と5年にお笑い係がある。

4年1組の男子4人は
「落ちこんだ日もぼくらの芸でぱあーっと明るくなって」と、
終わりの会でコントを披露する。

担任の鈴木登美代教諭は
「朗らかな気持ちで学校から帰れるからいいですね。
終わりの会がなかなか終わらないのは困りますが」と笑う。

「なんちゅう学校やねん!」と笑うのは、
子育てコンサルタントで日本笑い学会の原坂一郎理事(51)。
「そんな係の存在を認める先生はすごい。
 担任は照れ笑い、校長先生は苦笑いですか?」

文部科学省の教育課程の担当者は
「お笑い係は聞いたことがない。
 関西の風土がにじみ出ているというか」と話す。

大阪在住の小学4年、2年の
兄弟お笑いコンビ「まえだまえだ」の前田航基さん(9)は
「先生やお父さんお母さんの、あるあるネタがウケる」。
弟の旺志郎さん(7)は「芸人のギャグをもっとおもしろくしてみて」
とアドバイスを送る。

asahi.com
 
「クラスがどんよりしたとき、
みんなのストレスを解消して空気を変える使命がある」

12歳の男の子の発言・・・頼もしいですね^^
2008.07.07(Mon) (言霊)  (0)   No.2138

   

 余命半年 中学校で「最後の授業」 

 
 
2008年03月09日 ()
がんで余命半年と告げられた
大阪府吹田市の前教育長、延地(のべち)和子さん(62)が
7日、2年余り前まで校長を務めていた市立竹見台中学校で、
卒業を控えた3年生36人に「最後の授業」をした。

病気のこと。仕事のこと。24歳で先立った一人娘のこと。

自分の人生を教材に生きることの貴さを説き、
「人生はしんどいことがいっぱいだけど、しっかりと生きてほしい」と
語りかけた。

「私、なんでもさらけだしてきたの」。
視聴覚室に集まった生徒たちの前で、
延地さんはニット帽を脱いだ。

抗がん剤治療の副作用で一部が抜けた頭髪があらわれた。

「顔もむくんで自分じゃないみたいで、
20万円もするカツラを買ったのよ。それで旅行に行けたのに」。

生徒の緊張をほぐしてから話し始めた。

延地さんは戦後間もなく神戸・須磨で生まれた。
1カ月後に父を亡くし、母と5人きょうだいで貧しさの中で育った。
高校時代、家庭教師をして教える楽しさに気づき、
大学を卒業後、吹田市で中学校の国語教師に。
05年12月、吹田市初の女性教育長に就いた。

昨年7月、記者会見中に腹部に痛みを感じた。
ビール瓶1本分の腹腔(ふくこう)内出血が見つかり緊急入院。

副腎皮質のがんだった。

担当医に「肝臓やリンパ節に転移している」と言われた。
昨年12月に辞表を出し、
市議会で「がん患者として生きていきます」と宣言した。

今年1月の2回目の抗がん剤治療で、髪は抜け、
吐き気に襲われ、体重が1日1キロずつ減った。
それでも、治療効果はみられなかった。
「撤退しましょう」。主治医の言葉に治療の中止を決意し、
一人暮らしの不自由から自宅を離れ、
ホテルに宿泊しながらホスピスへの入所を待っている。

そんなとき、竹見台中の山邊義毅校長から
「卒業する子に命について語ってほしい」と頼まれた。
山邊校長は延地さんが校長時代の教頭。
3年生は1年生の2学期まで、延地さんの「最後の教え子」だった。

この日は、26歳で赴任した2カ所目の中学校での経験を
「教師としての原点」として語った。

当時は校内暴力の全盛期で、
「市内一」と言われるほど荒れていた。

若い男性教師らは生徒に教室から引きずり出されて殴られ、
辞めたり「不登校」になったりしていた。

産んだばかりの娘を校長室のソファに寝かせ、
学校や教室に寄りつかない生徒たちを追いかけ回した。

「そのやんちゃな子たちが50歳近くになって、
いま、洗濯とか私の身の回りの世話をしてくれる。
大変だったけど、楽しかった」

一人娘のもと子さんのことも話した。
私立高2年のとき、同級生らになじめず、
「今日から学校に行かへん」と言い出した。
親としては悩んだが、中退を認めた。
大検に合格して大学に進んだものの、
11年前、自宅で卒業論文を執筆後、眠ったまま息を引き取った。
突然死だった。

「子どもの分まで生きなくちゃ、そう思っていたのに、
がんになって、悔しくて悔しくて……」。涙声に教室内は静まった。

病気になって「自分はひとりじゃない」と気づいたとも語った。
教師仲間、大学時代の友人、教え子。
800人以上が見舞いにきてくれた。

「最後の授業」の最後には、
「がんと闘っている人は大勢いる。
私の使命は希望を失わずに生きること。
私の命がなくなったとき、
話を聞いてくれた人の中に火種が残ってくれたら、
私は第二の人生を生きられる」と話した。

そして、「いま始まる新しいいま」という題の
詩人川崎洋さんの詩を朗読して締めくくった。

生徒たちは、目を真っ赤にした子も、
延地さんをまっすぐ見つめて聞いていた。

元生徒会長の覚前雄登さん(15)は
「いつも笑顔を絶やさなかった先生が、
あんなに重い病気だとは知らなかった。
自分たちに全部話してくれてうれしかった」。

杉山春菜さん(15)は
「今はすぐ理解できないかも知れないけど、
託されたんだなと感じた」と話した。

延地さんは「久しぶりに子どもたちの前で話せて楽しかった。
私も勇気をもらった」と先生らに言って学校を後にした。

asahi.comより

「頑張って」とは 言えません
「笑顔」で毎日が過ごせるように 祈っています。
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「いま始まる新しいいま」

心臓から送り出された新鮮な血液は
十数秒で全身をめぐる
わたしはさっきのわたしではない
そしてあなたも

わたしたちはいつも新しい


さなぎからかえったばかりの蝶が
生まれたばかりの陽炎の中で揺れる
あの花は
きのうはまだ蕾だった

海を渡ってきた新しい風がほら
踊りながら走ってくる
自然はいつも新しい


きのうは知らなかったことを
きょう知る喜び

きのうは気づかなかったけど
きょうは見えてくるものがある

日々新しくなる世界
古代史の一部がまた塗り替えられる
過去でさえ新しくなる



きょうも新しいめぐり合いがあり
まっさらの愛が
次々に生まれ
いま初めて歌われる歌がある

いつも いつも
新しいいのちを生きよう
いま始まる新しいいま


川崎洋詩集「海があるということは」より抜粋
毎日新聞「余録」より

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2008.03.09(Sun) (言霊)  (0)   No.1500

   

 孤児500人の95歳母が半生記 

 
 
2008年03月08日 ()
1945年の東京大空襲で家族を失い、
戦後は戦争孤児らの母親代わりとなって
福祉施設で働いてきた女性が、その半生を冊子にまとめた。

500人を超える子供たちから「お母さん」と呼ばれてきた女性は、
彼らに寄り添ってきた年月を
「自分の娘が『私の代わりに育てて』と言っている気がしたから」と
振り返る。
冊子「炎の中、娘は背中で…」は、空襲から63年目となる10日に出版される。

現在、東京・国分寺で妹と暮らす鎌田 十六 ( とむ ) さん(95)の
自宅には、夫・茂さんと実母うめさんの遺影があるが、
一人娘の早苗さんの写真はない。
「生後7か月で、写真を撮る間もなく逝ってしまったから」だ。

63年前の3月10日未明、空襲で空が赤く染まる中、
当時住んでいた浅草区(現台東区)の自宅から
逃げ出した十六さんは、
娘を背負ったまま隅田川に転落した。
刺すような冷たい水に意識が遠のく中、
背中だけがわずかに温かかったことを覚えている。

意識が戻った翌朝、死体の山の間を歩いて
避難所にたどり着いた時には、背中の娘も既に冷たくなっていた。

お地蔵様のような顔にヤケドの跡が痛々しかった。

「私が助かったのは、背中が 濡 ( ぬ ) れなかったから」。
十六さんは今も「娘に助けられた」との思いがぬぐえない。
一緒に逃げたはずの夫の遺体は1週間後に川底で見つかり、
母とは生き別れになったままだ。

新しい「家族」に巡り合う転機は、
1年後の46年3月、上野公園で戦争孤児たちを見たことだった。
「娘が引き合わせてくれた」。
十六さんは板橋区にあった都養育院で
孤児たちと一緒に暮らし始める。

同院には戦後、繁華街からトラックで孤児らが次々と連れて来られた。
100人近い孤児を2人で世話した時期もある。
盗みや脱走を繰り返す子どもを追っては、
交番や学校を謝って歩いた。

子供たちから「お母さん」と呼ばれるうち、
十六さんは笑顔を取り戻していった。
添い寝をした子供に朝、「僕の母さんのよう」と言われたのも思い出だ。

その後、別の児童養護施設の寮母になった。
70歳で退職するまで、養育院時代を含めて
育てた子供は500人以上にのぼる。
結婚式に母親代わりに出席を求め、
「母さんの教えを今、子供に伝えています」と
近況を手紙にしたためてくる元孤児もいる。

「普通の人の何百倍も、家族の思い出をもつ私は幸せ」と話す
十六さんだが、死んだ家族のことを忘れた日はない。

大空襲の日から現在までの道を冊子にまとめたのも、
「家族を奪った戦争のことを今の人に忘れてほしくない」からだ。
「長生きしちゃった」と笑う十六さん。
語り部としての責任をかみしめる。

冊子は500円。
問い合わせは編集元の東京大空襲・戦災資料センター
(電話03・5857・5631)へ。

goo ニュース

東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)は、
第二次世界大戦中アメリカ軍により行われた
東京に対する一連の大規模な空襲。

東京は1944年11月14日以降に106回の空襲を受けたが
「東京大空襲」と言った場合、
特に、規模が最も大きい1945年(昭和20年)3月10日に
行われた空襲を指すことが多い。
太平洋戦争に行われた空襲の中でも、
とりわけ民間人に大きな被害を与えた空襲として知られている。

3月以降も東京への空襲は容赦なく続けられた。
3月10日に次いで被害の大きかったのは
5月25日で、470機が来襲し、
それまで空襲を受けていなかった山の手が主な対象になった。
死傷者は7415人、被害家屋は約22万戸の被害となった。

3月-5月にかけての空襲で東京市街の50%が焼失した。
また、多摩地区の立川、八王子なども空襲の被害を受けている。
その後、空襲の矛先は各地方都市に向けられていく。

東京大空襲 - Wikipedia
2008.03.08(Sat) (言霊)  (0)   No.1494

   

 「タモリのジャポニカロゴス」  

 
 
2008年03月04日 ()
今夜も「タモリのジャポニカロゴス」 の
歌いまつがい(間違い)笑いました♪

 「アンパンマン体操」

 アンパンマンは君さ 元気を出して
 アンパンマンは君さ 力の限り

→アンパンマンはちびった 元気を出して
 アンパンマンはちびった 力の限り


 「ドラえもんの歌」

 空を自由に飛びたいな ハイ タケコプター

→空を12年飛びたいな


 「科学忍者隊ガッチャマン」

 科学忍法 火の鳥だ

→科学忍法 居残りだ


 「宇宙戦艦ヤマト」

 さらば 地球よ 旅立つ船は 宇宙戦艦ヤマト

→さらば 地球よ 食べたつくねは 宇宙旋回ヤマト


 「ウサギとカメ」

 もしもし亀よ 亀さんよ
 世界のうちで お前ほど 歩みののろいものはない
 どうしてそんなに のろいのか

→もしもし亀よ 亀さんよ
 世界のうちで お前ほど 呪いの呪いの呪わない


 「鳩ぽっぽ」

 ポッポッポー ハト ポッポー

ハッハッハー ハト ポッポー


 げんこつ山のタヌキさん おっぱい飲んで ねんねして
 だっこして おんぶして また明日

→げんこつ山のタヌキさん おっぱい飲んで エッチして 


 津軽海峡冬景色(石川さゆり)

 私も一人 連絡船に乗り
 凍えそうなカモメ見つめ泣いていました
 ああ 津軽海峡冬景色

→私も一人 連絡船に乗り 
 凍えそうなカモメ煮つめ焼いてみました
 ああ 津軽海峡冬景色


 I LOVE YOU (尾崎豊)

 何もかも許された恋じゃないから 二人はまるで捨て猫みたい

→何もかも許された恋じゃないから 二人はまるでステテコみたい


 言葉にできない(小田和正)

 あなたに会えて 本当に良かった
 嬉しくて、嬉しくて、言葉にできない

Fresh good day Fresh good day 言葉にできない


以前の歌いまつがいは コチラ
2008.03.04(Tue) (言霊)  (0)   No.1467

   

 侍言葉 

 
 
2008年02月17日 ()
ちょっと堅苦しいはずの「侍言葉」が
若い世代で静かな人気を呼んでいる。

メールの文章を面白言葉に変換するサイトでは
「武士語」にアクセスが殺到し、
時代小説に登場する武士の日本語を
集めた本がヒットする。
遊び感覚ではあるが、
失われがちな品格も感じさせてくれる

・お主(ぬし)

←あなた


・平侍

←平社員


・かたじけない

←ごめんなさい


・ありがたき幸せ

←ありがとう


・かたじけない願いたもうぞ

←ごめんください


・行く

←参上する


・ひとつまいろう

←まずは一杯


・手もと不如意(ふにょい)

←当座の持ち合わせがない


・これはしたり

←これは驚いた


・それは重畳(ちょうじょう)

←大変結構なことだ


・異なこと

←また妙なことを


・面妖(めんよう)な

←まったく不思議だ


・率爾(そつじ)ながら  

←突然のことで失礼ですが


・恐悦至極(きょうえつしごく) 

←とてもうれしく思います

gooニュースより

そういえば
「お主も 悪じゃのぉ〜」って 
悪代官風に言っていたなぁ(笑)

武士語に変換もんじろうβ - 言葉・方言変換サイト

2008.02.17(Sun) (言霊)  (0)   No.1328

   

 きょうの言葉 

 
 
2008年01月26日 ()
 
 理念の実現には

 現実的な手立ての積み重ねが要る

MSN産経ニュースの「今日の言葉」で
紹介されていました。
国会議員の皆さんに言っているのでしょうね?
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 ■疾風知勁草(疾風に勁草(けいそう)を知る)

強い風が吹き天候が荒れたときに、
強さの真価がわかるという意味。
冷たく強い風には当たりたくないものだが、
苦労に立ち向かってこそ
人は本当の強さを身につけられるという教え。

 ■行水にも淵瀬あり 人の世に窮達なからめやは

流れる川にも淵や瀬があるように、
人生にもうまくいくとき、
物事が進まず悪いときがあるものだという意味

 ■どんなに暗い夜でも 明けない夜はない

 ■報怨以徳
(怨(うら)みに報いるに徳を以(も)ってす)
憎悪の連鎖を断ち切るには恨みではなく、
徳で対応するのがよい

 ■真似されるものをつくれ

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2008.01.26(Sat) (言霊)  (0)   No.1172

   

 「タモリのジャポニカロゴス」 

 
 
2008年01月24日 ()
今回の「いいまつがい」(言い間違い)で
面白かったものは・・・

ネクタイ売り場で 男性店員が
紳士客に 青いネクタイを薦めた時

 「青が お似合いですよ」
→「アホが においますよ」

ファミレスで 太った客2名に対し
店員さんが

 「おふたり様ですね」
→「おふとりさまですね」

生徒が先生に 進学の問題を相談した時

 「僕も君と ひざを交えて話そうと思ったんだ」
→「僕も君と 腰を交えてはなそうと思ったんだ」

学校内の選挙の開票後 生徒が

 「では、過半数を超えましたので決定します」
→「では 下半身を超えましたので決定します」


子供に 四字熟語を教えていると

 「四捨五入」
→「四捨母乳

「吉野」家の 子供が かかってきた電話に出て

 「もしもし よしのです」
→「よしよし もしの です

上司の言葉に 社員が驚いたら
 
 「どうした?鳩が豆鉄砲をくらったような顔して」
→「どうした?鳩が豆食ってポーみたいな顔して」

ご臨終の際 医者が

 「ご臨終です お時間は12時4分です」
→「ご臨終です お時間は12時4ぷっちゅんです」

電話で 名前を確認の際

 「ヤマシタサダオです 
  ヤマ(山)にシタ(下) 貞操の貞(テイ)に夫(オット)」
→「ヤマ(山)にシタ(下) 童貞の貞(テイ)に夫(オット)」

笑わせていただきました



タモリのジャポニカロゴス 2
タモリのジャポニカロゴス 1
日本語って
チンチンボッボサルッモソ
2008.01.24(Thu) (言霊)  (0)   No.1158

   

 気になる言葉 

 
 
2008年01月10日 ()
NHK【気になることば】が とっても面白いです♪


■『一所懸命』と『一生懸命』の違い

「一所懸命」は
鎌倉時代、
“武士が賜った一カ所の領地を命がけで守り、
 それを生活の便りとして生きたこと”に由来
文字通り、“一つの所”に命を懸けるだった。
これが「一生懸命」となったのは、
江戸時代に入ってからで
“命がけ、必死な気持ち“から、
”一生“と書くようになり、「一生懸命(いっしょうけんめい)」となった。

■『赤・黄・青 色のはなし』

古代日本語には色に関する言葉は無く、
光の明暗濃淡を表す言葉だけがあったのです。

明は“アカシ”→アカ(明)と言われ、
太陽によって空が染まり、明るくなっていく様を言いました。
そこから、明け方の色、アカ=赤となったのです。
つまり、光を浴びて くっきりしていることを意味したので、
どう見ても明らかに他人であることを「“赤”の他人」、
誰が聞いても紛れもない嘘を「“真っ赤”な嘘」などと言ったのです。

一方、暗は、夜の闇が暗かったことから
“クラシ”→クロ(暗)→黒となったのです。
さて、濃淡の濃は“シロシ”(顕)、
はっきりしたものが“シロ”→白となったのです。

それ以外の漠然としたものは“アワシ”(漠)と言い、
そのような色が“アオ”→青となりました。

経験の乏しい若者を指す“青二才”の青は、
漠然とぼんやりしていることから、
未熟で不十分であるという意味になったのです。

ちなみに、“二才”は魚のボラなどの稚魚を例えたという説や、
新しい男・若い男を意味する“新背”(にいせ)がなまったという説も
あるようです。

さて、特に女性のキャーキャーと騒がしい声を、
“黄色い声“といいますよね。
黄は、少し遅れて登場し、奈良時代には使われていました。

黄と金は親戚のような関係で、黄が輝くと金になります。
そこで、金属を切るような甲高い音に似ているので、
黄色い声というようになりました。

また、黄は目立つ色なので、
女性の目立つ高い声の調子を表現したという説もあるようです。
とにかく日本の色の四原色は「赤黒白青」。

■『情けは人の為ならず』の意味は?

「人に情けをかけると必ずよい報いがある。」という
意味のことばです。

意味を勘違いしている人は「為ならず」を
「為になる」の打消しで「為にならない」だと
解釈しているのではないでしょうか。
これは間違いです。

「為ならず」の「ならず」は「なり」の否定形です。
「なり」は、体言につき物事を断定するので、
「人の為なり→人の為である」という意味です。
この否定形なので
「人の為ならず→人の為ではない=自分のため」と
いうことになります。

■『気の置けない人』はほめ言葉

「気配りや遠慮をしなくていい人。気楽に付き合える人」と
いう意味です。
勘違いは「ゆだんできない。気をゆるせない」という解釈をしていました。
他に「気」がつく否定形に
「気が気でない」「気が進まない」「気が知れない」などの
悪い印象のことばが多いので、
同じように悪い印象のことばだと思ってしまうのかも知れません。
「置く」は物と物との間に何かを置いて隔てるという意味があります。
「気が置けない」とはその間に隔たりがないことになり
、すなわち気を許して付き合える人という解釈になるのです。

■『役不足』
「1.君には役不足だが、是非この仕事を引き受けてもらいたい。」
「2.私には役不足ですが一生懸命頑張ります。」
おそらく多くの方が普段2.のような使い方をしていると思います。

しかし、本来『役不足』は芝居や演劇で割り当てられた役が
自分にとって軽すぎるということから
「人間の力量に対して役目が軽すぎる」ことを言います。
謙遜したつもりで2.のような使い方をするのは、
本来は間違いです。その場合は「力不足」ですね。

■「流れに棹さす」は逆らっているの?

「流れに棹さす」は流れに乗っているのでしょうか?
それとも逆らっているのでしょうか?
「棹」は舟を操るための長い棒。
「棹さす」とは、棹を水底に突きたてて
舟を進めていき流れにうまく乗ることで、
そこから傾向に乗ってある事柄の勢いを増すような行為をすることを
「流れに棹さす」というようになりました。

■「まったり」ってどんな味?

辞書には"味わいがまろやかで、こくのあるさま"とあり
「まったりとした味」などと使いますよね。
もともと関西の言葉のようで、
大阪や京都のことばの辞典などに
「辛くない落ち着いた味をいう」
「とろんと穏やかな口当たりをいう」などと書かれています。

全国的に流行したのは1980年代頃。
火付け役は、1983年に連載がはじまった
漫画「美味しんぼ」だと言われています。
究極のメニューを追い求める主人公たちが、
料理の味を表現するのに「まったり」と数多く使っていました。
この言葉を最近、若者達は味ではなく、
「家でまったり過ごす」「喫茶店でまったりする」などと
行動に対して使っているのです。
実はこうした使い方は1990年頃からみられ、
当初は「だらだらする」という意味での使われ方もしました。
しかし、
今はむしろ「ゆっくりする、のんびりする」という良い意味で
使われています。
辞書を見てみると、
江戸時代には既に『義太夫もまったりとおもしろさ』など、
味についてだけの言葉では無かったことがわかったのです。

2008.01.10(Thu) (言霊)  (0)   No.1113

   

 犬の十戒 

 
 
2008年01月02日 ()